これに出会うのを待ってたんだな、というモノとの出会いって、出会ったことに気付けるような 状態でいることが 大切なんじゃないかなあと。
やや お買い物中毒だった 20代前半
大学生~社会人になりたての頃のわたしは、お買い物が大好きでした。
わーっと買う、買い物に行くこと。なんかいいモノを探している時間 というのが大きな楽しみで、なんというか、買い物が1番かなっていうくらい(というのは言いすぎかもしれないけど)の娯楽。
アルバイトやお給料をもらって、自由になるお金が増えてきて、自分で得たお金を 自分に使ってみる、というのが 大人に仲間入りをした気分になれてたのかなあと。
その頃のわたしは 洋服にはまっていて、ビームスのちょっと個性的なラインとか、お洒落な古着屋さんのとか、背伸びして買いに行くのが 楽しくて楽しくて。
いま思うと、そんな色んなモノとの触れ合いは、いまのわたしの好きが確立される素になったというか、わたし固有の好みが作られる過程だったのかなと。
そういった意味では、このころの消費とか、浪費というのは無駄遣いではなかったし、きっと必要な過程だったのではないかと思います。
20代半ば、きっかけはコロナ禍の引っ越し
そんな生活が変わるきっかけとなったのが、社会人になって初めての引っ越しでした。社会人3年目に、コロナ禍での転勤。
引っ越しのために荷物を整理(断捨離)していると 、気付きがあって、それは自分が物を持ち過ぎていること、そのほとんどが不要品だったということ。
コロナ禍で生活様式がガラッと変わったことで不要になってしまった、という仕方ないことでもありました。
だけど、今まで何かをしに「行く」を通して、外に気持ちが向いていた分、じっくりと家の中や、自分の持ち物に向き合う時間を持つと、どれだけ身の回りに無断着だったのかということに気付く。
洋服だけでなく、雑貨や、日用品も含めて、わたしが持っていたものはたいてい、欲しい!と思ったときの胸の高まりとか、ときめきというのを維持してない、容易に手放せてしまうものだなーと。。
働いて 買い物をして、しばらくしたら使ってない、(ことに気が付かず)、また買い物に行く。
結局ゴミになってしまうものを買っているわたし。
ちょっとした衝撃を受けました。なんだか虚しい、このままではだめだなあと。
しっくりこないときは買わずにちょっと待ってみる
これが欲しい、という衝動があっても、まずはその衝動が止むのを待ってみる。
そうするとそれが一過性のものだったら衝動は消えてゆき、本当に自分が求めているものの場合は、頭の片隅に残るんじゃないかなあと。
わーっと勢いで買っちゃう、というのをやめてみると、衝動がじわじわ残り続けるモノとの出会いに、とてもとてもグッとくるようになりました。
あれじゃなくて、これを求めてたんだ...!っていう感覚。
好きなモノ・そうでもないモノ・なんの感情も湧かないモノたち、沢山のモノに囲まれていると、良いモノとの出会いを見落としそうになる気がして。ちょっと待つ、見てすぐ買わない、がこの頃は基本になっています。
そうすると、わたしはすぐ買わないって決めてるから、と落ち着いた判断もできるし、買い物へのハードルもちょっと高くなるので物欲も、ないわけじゃないけど普段は凪という感じに落ち着いてきました。
ちょっとまとまりのない感じになりましたが、そんな物との付き合いのお話でした。
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