正しく古いものは 永遠に新しい

最近出会った言葉「正しく古いものは 永遠に新しい」。

このごろ、イイなあと感じるものは、わたしにとって「正しく古いもの」である気がして。

そんな言葉を、すこし掘り下げてみたいと思います。

正しく古いものは、永遠に新しい

「正しく古いものは永遠に新しい」

この言葉は、スウェーデンの画家 カール・ラーションの 家の天井に描かれていた言葉なのだそうです。

なにを見てこの言葉を知ったのかは、忘れてしまった^^;
でもこの言葉を見たとき、これって最近ぼんやり感じていたことそのものだー、と、ストンと自分の中に落ちてきた感覚でした。

「正しさ」と聞いて 思い浮かべるものは、人それぞれ。そのうえで、わたしにとって「正しさ」というのは「物事の本質をとらえている」ことかな、と思います。

「正しく古いものは永遠に新しい」

正しい。= 本質を捉えているもの。
正しいものは、たとえ古くなっても、もしくは古いものでも、永遠に新しさを感じることができるのだ。

これって、ほんとにその通りだなと思うのです。

目新しいこと、便利そうなもの。そういうものはひっきりなしに出てきます。

だけど、正しい方法、本物、とされていることは、ずっと変わらずひっそりと存在している。それを知った時に、やっぱり本質をとらえているものには敵わないなあということと、どんなに古風でもどこか新しさを感じるのです。

例えば、掃除について。

人間が生活して出る汚れって、ほぼ 脂と油、アブラがほとんどですよね。
食べ物から由来する油汚れや皮脂や汗や人間から出る脂汚れ。

そのアブラたちって、たいてい重曹でキレイに落とすことができる。いわゆるナチュラルクリーニングですが、最近これを知った時も、古くからあす方法だけど、新しさと正しさを感じました。

結局 昔からあるもので事足りていたし、たくさんの洗剤を持たなくて良い分、重曹ひとつでOKというのはシンプルでミニマリズムが好まれる現代でも十分通用する、古い感じがしないのです。

趣味でもそう。よくスーパーの一角には、野菜の種が売っています。家庭菜園は時間のある人に人気の趣味ですが、最近すこし家庭菜園をやってみて、これもずーっと支持されている趣味なだけある、ということを感じました。

地面に種をまく、水をやる、適当に栄養を足してあげる。そうすると食べられる野菜がなる。楽しくない訳がないよと。。笑^^;

スケジュールを埋めるのが好きなわたしにとっては、先の予定が埋まる感覚も楽しい。来週あたりこれをして、次の三連休にはお野菜のこれをお世話して、、と、これもしなきゃあれもしなきゃと、大きく育てるための段取りがたのしかったりして。

そして、この言葉になぜ今惹かれているのか。
色々手を出すより、核になるものや、本物に触れたい。また、不変な正しさに触れたいという欲求から来るのかなと思います。

30代になったからなのか。20代の頃は 流行りのやり方や、色んな良いとも悪いともよく分からないものに手あたり次第手を出すというので良かった。でも、もう若いとは言えない立派な大人になると、ちゃんとしたものに触れたいと思うようになったのかな。

最近だと、料理についてはタサン志麻さんが響いてくる。これもわたしのなかでは芯を食っている感じがして、グッとくるのだと思います。(志麻さんが古いということではなく。しっかり料理の基礎から叩き込んでくださるという意味で)

「正しく古いものは永遠に新しい」

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